超簡略尺八の歴史

2021年04月17日

「尺八は1300年前には日本にありました。」
…なかなか深ーい重ーい歴史がありそうですね❗️❗️確かに歴史は長く、資料が欠落した時代もあることから、他の楽器と比べて尺八はとてもミステリアスです。

今回はそんな尺八の歴史を簡単にまとめています✨
っとーっても簡略化しています(^O^)/

  1. 雅楽と一緒に日本に伝わる
  2. 1300〜1600年頃、虚無僧尺八
  3. 江戸時代に現在の形の尺八になる。琴古流。
  4. 明治初期、箏・三味線と合奏/都山流/明暗尺八復活…
  5. 宮城道雄による箏・三味線・尺八音楽への西洋音楽導入
  6. 各名人による、尺八のジャンルを問わない活躍

ちょっとずつ見てみましょう!

刀掛けに置かれる尺八
刀掛けに置かれる尺八

1、雅楽と一緒に日本に伝わる

まず7世紀ごろに中国で発明され、朝鮮に渡り、そして高麗楽とともに日本に伝わったようです。
このあたりの尺八は1尺1寸〜1尺4寸くらいで6孔。正倉院に保管されています。そして聖徳太子が愛用したという伝説がある尺八も存在するとか…

しかし日本に定着はせず、一旦姿を消します。雅楽の1パートだったのですが、音量も小さく音程も不安定。何かの楽器とユニゾンするパートだったため、いらなくね?っとなったとか。


2、1300〜1600年頃、虚無僧尺八

この時代と言えば室町・戦国時代。敗戦した浪士が普化僧に身を忍ばせ、それが虚無僧になるのです。幕府がそれを管理・または保護するために制度を作り、尺八は普化宗の法器(一般人は触れない楽器)として使用されました。

関東の一月寺、鈴法寺。関西の明暗寺が特にゆかりのあるお寺です。
これが虚無僧尺八、普化尺八の起源です。


3、江戸時代に現在の形の尺八になる。琴古流。

本当に誰が開発したんでしょう。竹を使うエアリード楽器だったのは昔から変わらないのですが、竹の根っこも含むようにし、表4孔・裏1孔の5孔になったのはこの時代。これまでの尺八とは比べ物にならないほど楽器としてパワーアップしました。

加えて、黒沢琴古が当時の尺八曲を整理して、現在も残る琴古流の礎になります。
どの時代も、まとめて整備した人は強いですね。


4、明治初期、箏・三味線と合奏/都山流/明暗尺八復活...

明治初期は尺八音楽発展の全盛期と言って差し支えないと思います。この時代に箏・三味線と合奏していなかったらもしかしたらまだ「尺八・1人」状態だったり、大学の邦楽部は箏と三味線だけだったかもしれません。関西で中尾都山が都山流本曲や三曲合奏を作り込んでいなければ、現在の尺八の人口は半分以下かもしれません。樋口対山が明暗流尺八の技を集大成していなければ、そもそも私は尺八を続けていなかったかもしれません。

新しく作って、仲間を集めないとモノは残っていかないのかもしれません。


5、宮城道雄による箏・三味線・尺八音楽への西洋音楽導入

宮城道雄のとんでもないところは、今もなお聞かれ続けている曲を作曲し、箏・三味線だけでなく尺八まで巻き込んで西洋音楽を導入したところです。そして、「西洋音楽を箏でやる」のではなく「西洋音楽側の名手が箏と合奏したい」と思う曲を作った、というところも。

どうしても《西洋音楽化》というと、こちらの楽器を変えて、あちらの音楽をやる、が主流かと思います。私もあちら側の音楽をやっています。ですが宮城道雄は逆だった。春の海もその時代には充分尖ってたでしょうけれど…


6、各名人による、尺八のジャンルを問わない活躍

山本邦山先生、三橋貴風先生、小湊昭尚先生…様々な名人が、古典はもちろんJAZZ・ロック・ポップス・クラシック・民謡など他ジャンルにおいても活躍されています。元々尺八が自由な楽器なのもありますが、こんなに自由に他ジャンルに飛び込めるのは先人が切り込んでくださったからだと思います。

次はきっと私たちの番なのでしょう。


終わりに

今日は「超簡略、尺八の歴史」をお届けしました🌸

700年〜1300年は何があったのか?!
聖徳太子が吹いていた曲があるという伝説は本当?!
誰が江戸時代に尺八を改良したのか?!

謎は深まりますが、今後も尺八の歴史は新しくなって続いていくでしょう🌟


明日は何を書こうかな?

「伝統を、最先端に」尺八奏者ー元永泰輔


尺八小論TOPへ↓